低い評価としての論点は、 1.児童文学作品として歴史に残るかどうか
2.この本によって子どもが読書に向かうか。
3.翻訳のまずさ(邦訳版についての翻訳家たちの意見)
この3点が主に目立つように感じます。
【1.ハリー・ポッターは文学?】
ハリー・ポッターは文学の範疇に入れてもらえるかどうか、少々疑問のようです。
今まで歴史に残った作品と比べた場合に文学者の考える基準を満たしていないらしいです。面白いがそれだけ、という評価なのであります。参考文献・サイトから引き出される評価は、今までのすばらしい児童文学と比べたら、筋がありきたり、独創的な世界観とは言いきれない、登場人物が平板でステレオタイプ。分析しだすと「たいしたことない物語」という結論。ハリー・ポッターはエンターテイメントの物語であって、文学ではないというわけです。文学者は物語を筋はどうか、表現はどうか、他の作品と比べてどうかということを念入りに調べて吟味するのが仕事なのです。その結果、文学というカテゴリーに入れるか入れないかを判断しているのでしょう。
エンターテイメントの物語は文学者にとっては「たいしたことない」内容なのかもしれません。楽しんでいる読者のわたしが「文学にいれないとはけしからん!」なんて思う必要はないと思います。エンターテイメントとカタカナで言われなくでもハリー・ポッターを読んで面白かったらそれは自分にとっては楽しみ(=エンターテイメント)なのですものね。
とはいえ、ハリーの続巻を待っている多くの読者は熱心に毎日読みふけっているわけではなさそうです。
読んだときに面白かった、続きが楽しみという人は多いけれど、最近は読んでいないという人も多いでしょう、たぶんそういう人の方が多いのかもしれません。ここの管理人のような熱心な読者(笑)はごく一部で、広く読まれて一時的に楽しみを与える、そういう読まれ方が多いんじゃないかなと。となれば消費されるだけの物語かもしれません。一時的な楽しみとしての役割しかもっていないかもしれません。そういう面は否定できないと思います。
【2.子どもが読書に向かう?】
ハリー・ポッターを利用して読書好きにさせようという大人たちの目論見です。ハリー・ポッターの物語を手段として用いようとしているのです。他の本を読まない理由をハリー・ポッターばかり読んでいることやハリー・ポッターから次の読書へ続かないのことをハリー・ポッターの欠陥のように扱うのはどうかな、と思ってしまいます。もちろん、ハリーから本が好きになる子もいるでしょうし、ハリーだけで終わっちゃった子もいるのでしょう。子どもを読書に向かわせるのに役立つかどうかでハリー・ポッターの価値が決まるわけでもないでしょう? ハリー・ポッターはただ多くの子どもにも楽しみ(=エンターテイメントと呼び方を変えることもできますが)を与える本なのですから。
ハリーを読んだら次はこれ、と大人(特に教育関係者かな)は次々に期待してしまうかもしれませんが、読書離れしている子が本を心から好きになるには時間がかかると思います。ハリー・ポッターの後で『指輪物語』『ナルニア』まで読む子は少ないと『ファンタジービジネスのしかけかた―あのハリー・ポッターがなぜ売れた』(講談社+α新書)で触れられていましたが、次に何に興味を持つか、どんな本を読んで楽しめるか?というのはハリー・ポッターのどの要素に興味を覚えるかによって違うと感じます。次の読書=『指輪物語』や『ナルニア』という図式がすぐに出てしまうのにはちょっと疑問のわたし。本って楽しいと思う、思ったという経験はゆっくり進んでいくものだと思います。こういうのを読んで感動してほしい」と思う大人の期待通りではなくても、ハリーの次に楽しい本と出会える子が増えるといいなぁと思っています。押し付けではなくてね。
【3.ひどい翻訳!】
翻訳がひどくて読みきれなかった・・・という方もいるにはいるのでしょう。巻が進むにつれて訳語が変わったりして困惑するのは確かなことでしょう。読みきれないほどひどい、とは思いませんが翻訳家を生業としている方からみれば、きっと松岡氏は素人なんでしょうね。翻訳が多少悪くても、一読者として思うのは、翻訳した方も物語が気に入って共に楽しんでいる、楽しめるっていうのはうれしいことだと思いません?(たいしたことない物語だけど売るために翻訳したというのでは悲しいです)
歴史に残る本かどうかは100年後におのずと答えは出てくるのでしょう。もしかしたら絶版になっているかもしれない。文学史にも残っていないかもしれない。7巻揃う前に飽きられてしまうかもしれない。
とはいっても、初めて手にとって読んだとき素直に面白い物語を楽しんでいた自分がいます。たとえ文学者の目に適わなかったとしても、自分にとって楽しい物語であることはきっと否定できない。完結するまでは自分の中の気持ちに素直に従ってみようと思うこのごろです。
【2006.2.8追記】
「ひどい翻訳!」の中で「自分の気持ちに従ってみる」と書きましたが、5巻邦訳を読んだときに違和感をぬぐえませんでした。原書から感じるものと何かが違うと。
わたし自身、実際きちんと翻訳を読んでいなかったと感じています。まず原書を読み、物語の流れを再確認するためだけに翻訳を読んでいたと思います。そして訳語に関しても「こういう風に訳すのが正しいものだ」と思い込んでいました。本という形になっているのだから、これが正解なのだと思っていました。違和感を感じるのはなぜかという自分なりの答えを出してみようとまとめてみることにしました。このブログにおいては「翻訳・訳語」カテゴリーを設けましたので、こちらをご覧ください。
参考文献:
『小説「ハリー・ポッター」入門』フィリップ・ネル著、谷口伊兵衛訳 而立書房
『ファンタジービジネスのしかけかた―あのハリー・ポッターがなぜ売れた』
野上 暁/グループM3著 講談社+α新書
参考サイト:
バオバブの木と星のうた(ハリー・ポッターは名作か?<リンク先確認中>)
児童文学書評
※この記事は2004/1/29に書いたものです。2006/2/8に追記しました。